「わかりあいたい」という想いが人間関係を悪くする理由

 

1、「わかりあいたい」という気持ちは自然なこと

 

大切な人とわかりあいたいという願望は誰もが抱くものです。大切であればあるほど、関係が近くなればなるほど、わかって欲しいと思うし、わかってあげたいと思うのではないでしょうか。理解しあうからこそ信頼関係を築くことが出来ると考える方も少なくないはずです。良好な人間関係において重要な要素の一つであると考えられている「相互理解」ですが、それによって関係が壊れてしまう可能性もあります。今回はその理由についてお話ししたいと思います。

 

 

2、「相手のことを理解したい」は本心?

 

家族やパートナー、友人など大切な人のことを知りたい人はとても多いはずです。相手が何を考えているのか、どのような価値観を持っているのか、何が好きで何が嫌いなのか、得意なことは?苦手なことは?困っていることはないか、喜ぶことは何か、そんな風に相手のことを知り、少しでも相手のためになりたいという願いは非常に美しいものです。でも、ちょっと待ってください。本当にその人のことを理解したいと思っているのでしょうか?

 「相手を理解する」と言いつつも自分の価値基準に相手を当てはめ、合格すれば認め、不合格なら「欠点」だと評価し、矯正しようとしていないでしょうか?

 特に親子関係やパートナーシップにおいてはこの傾向が強く現れやすくなります。

例えば我が子の学校の成績が思わしくない場合「成績が良くないと将来苦労するからもっと頑張りなさい」と子どもにいう親は多いものです。しかし、それは「良い学校に入って、稼ぎの良い(もっといえば周囲に自慢できるような)会社に就職することが良いことだ」という親の価値観を押し付けているだけではないでしょうか?もちろん将来我が子が苦労しないように、という親心もあるかもしれませんが「その子にとって本当に幸せなことなのか?」という視点が抜け落ちているように思います。パートナーシップにおいては「本当に愛しているのならば〇〇してくれるはず」という期待を裏切られた際に相手を激しく非難したり、相手の愛を疑ったりする人の方が多数派ではないでしょうか。自分にとっては簡単なことであったとしても相手にとっては行うことが困難なものもある、という想像力が欠如しています。

 結局は期待に応えてくれるかどうか、価値観にマッチするかどうかを測っているだけのことが殆どです。妄想で相手の人物像を作り上げて、自分の理想に当てはまらない部分については最初は見て見ぬふりをしてやり過ごすします。けれど、時間の経過とともに見て見ぬふりをし続けることが困難になって相手に対する嫌悪感が増幅し、批判的になっていくのです。どうにか自分の思う通りの人間になって欲しくて相手をコントロールしようとします。

 この態度で本当に相手のことを理解したいと思っている、といえるのでしょうか。

相手のことを理解するということは、自分の価値観にマッチしようがしまいが「ありのままに見る」ということだと思います。ジャッジメントせずに、そのままに受け入れることが真の意味で相手を理解することといえます。

 

 

3、意外と自分のことはわからない

 

本当に愛してくれているのであればわたしのことを理解しようとしてくれるはずだ、と考える人は大勢います。「ありのままのわたし」を深く理解し愛して欲しいという願望は自然なものですし、愛し愛されることによって人は成長していくものです。

 ただし、ここに大きな問題が一つあります。

実はほぼ全員が「本当のわたし」「ありのままのわたし」とは一体どのような存在なのかがわかっていないのです。

 そんなバカな!自分のことは自分が一番よくわかっている!!!と腹を立てるかもしれませんが、脳の進化において自らの感情を理解するという機能は新しいものなのです。そもそも感情の理解という機能は他者理解からスタートしているのです。進化の過程の中で生き抜くためには、まず目の前にいる存在が自分に対して敵意を持っているのか、それとも友好的な気持ちを抱いているのかを見極めることが重要です。これを見誤ると死に直結するからです。相手の反応や行動から予測するのです。そうやって学習し獲得したパターンを自らに当てはめることによって「自分の感情」を知っているのです。しかしながら、この機能の精度はわたしたちの想像より遥かに低いもので、わかりやすい例として有名な心理実験から導きだされた「吊り橋効果」があげられます。

 皆さんご存知の通り、この実験ではゆらゆら揺れる吊り橋を渡り切った先に異性がいるとその人を好きになる、というものです。「心臓がドキドキして呼吸が速くなっている」という身体反応を「好き」だと脳が勘違いするといわれています。この理論を使って意中の相手を振り向かせようと試みた方もいらっしゃるのではないでしょうか。けれど、この実験には落とし穴があります。「心臓がドキドキして呼吸が速くなっている」という身体反応を好意として認識するのはその異性が好みのタイプ、もしくは非常に美しい場合に限られるという側面があるのです。逆に好みから大きく外れるタイプであれば「心臓がドキドキして呼吸が速くなっている」という身体反応を「不快感を覚えている」と認識し、相手に対してネガティブな感情を抱くようになるそうです。

「今、わたしはこういう感情を抱いている」と思っているものは実はかなり適当に脳が分類しているだけに過ぎないのです。自分のことをわかっているようでわかっていないというのがわたし達の実情のようです。

 

 

4、人間関係をうまくいかせるコツ

 

他者の感情を予測する機能の方が洗練されていて自分の感情を推測する機能の方がいい加減だとしたら「わたしはこういう人間である」という自己認識が間違えている場合も多々ありそうだとは思いませんか?

 相手はわたしのことをまったく理解してくれていないと感じている時でも本当は相手の方があなたが何を感じているかを正確に理解してくれていることもある、ということもあり得ます。傷ついたり、怒ったりする前に一度立ち止まって考えてみるべきです。

 そもそも人と人が「わかり合える」ということはあり得ません。それは幻想です。

相手の態度や言葉など表面的に現れている部分について認知することは可能かもしれませんが、絡み合う要因が多過ぎてどのような過程を経て表出したのかを知ることはできません。真の理解には至らないのです。本人にもわからない部分が多くあるはずです。わたし達が理解出来るのは自分のことも相手のこともほんのわずかな部分しかありません。

 「わかり合えない」という前提をもつことが人間関係を円滑にします。相手の言葉や想いに丁寧に向き合い、決めつけや思い込みを手放すことが大切です。ゆるゆるとしたコミュニケーションを重ねることによって、ほんのわずかかもしれませんが「わかり合えない」が「わかり合える」に近づくことが出来るのです。

 理解出来ない、受け入れ難いことについては「未知との遭遇」だと思って、あまり深く考えず楽しむことが自分にとっても相手にとってもプラスになっていきます。寛大であれ、という高貴なものではなく「わからんもんはわからん!」というとらわれのない豪快な笑い飛ばしこそが人間同士の繋がりに必要とされるのです。

 自分の「理想の人間関係」というビジョンを手放した先に、本当の信頼や愛情が生まれるのです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA