わたし(かしま慶子)にとってサイキックな感覚は、生まれつき備わっていたものですが、それを「ギフト」だと思えるようになったのはかなり大人になってからのことです。  

見えないものが視え、聞こえないものが聴こえ、人の感情が意図せず流れ込んでくる。  

幼いころのわたしにとって、それはただ過剰なノイズの中にさらされる感覚でしかありませんでした。  

「変わっている」と言われ、人間関係から外れ、知らなくていいことまで受け取ってしまう――  

そんな体験の積み重ねが、わたしをいつしか、「じぶんはおかしいのではないか」という深い自己不信へと導いていきました。  

神々や精霊など目には見えない存在たちと過ごす時間の方が人間といるより自然でした。  

彼らから、結界の張り方、エネルギーの扱い方、呪の構造、意識を超えて存在するものとの関係の持ち方など様々なことを教わりました。  

一方で、本の中にひらかれた叡智の構造にも魅了され、寝食を忘れて読み耽ることも珍しくありませんでした。  

わたしは大学で心理学を学び、卒業後は青少年育成に関わる公的な仕事に就きました。  

その傍ら、周囲に気づかれない範囲で、ごく限られた人たちの相談にだけ静かに関わっていました。  

この感覚が人に知られることへの恐れは、強く、根深いものでした。  

そんなわたしに、転機が訪れました。  

 

――兄の死です。  

 29歳。突然の死。死因不明。  

  

 家族は悲しみと混乱の中で崩れていき、 誰もが誰かを責めながら、静かに壊れていくようでした。

そんなとき、兄がわたしのもとに現れました。  

両親への伝言。  

遺された妻への言葉。  

家に刻まれた縛りをほどいてゆくための実直で具体的な指示。  

わたしは、その言葉をそのまま、誰の色もつけずに家族に伝えました。  

家族は、わたしの「変わり者」な性質を知っていたぶん、驚きながらも耳を傾けてくれました。  

少しずつ、家族の空気がやわらぎ、沈黙がほぐれていくのを感じました。  

あの時、わたしははじめて、「この体質が、誰かの痛みのそばに在れるのかもしれない」と思えたのです。  

わたしの中で、サイキックという感受性が、恐れや違和の象徴ではなく、「構造のゆらぎに立ちあうためのまなざし」へと、静かに変わっていきました。  

兄の言葉が、今も残っています。  

「怖くても、逃げてはいけない。その力が、誰かの光になるなら、生かすべきだ。」  

この言葉に背中を押されるようにして、わたしは2012年、ahlan 和 sahlan(あはらん わ さはらん)を設立しました。  

わたしにとって、霊的な領域は高尚なものでも、神秘的なものでもなく、「物質と非物質の交差する構造の中間に在るもの」です。  

科学で語りきれないものが、世界には確かに存在しています。けれど、わたしは「見えない世界」だけを尊ぶようなスピリチュアルには距離を置いています。  

物質と非物質。  

言葉になるものとならないもの。  

それらは互いに干渉し合いながら、世界の厚みと、その人自身の感受性をつくっています。

わたしの営みは、その干渉のズレや崩れを、壊さずに置いておける場所をひらくことです。  

これまで2,000件以上のお祓いやご相談を受けてきました。  

わたしは今でも、人と関わることは怖いです。  

傷つくことも、誤解されることもあります。  

けれど、  誰かの魂が、ふと揺れる瞬間に立ち会えるとき、わたしはようやく、「ここに居てもいい」と思うことが出来ます。

それが、わたしがこの営みを続けている理由です。

人は外から与えられた答えにけっして満足しません。辛抱強く自らに問い続けた結果にこそ安堵します。しかしながら、その安堵もすぐに壊れはじめ、最初の問いだての純度を疑いはじめます。

終いには、その問いだてを行った自らの構造までをも訝しむのです。

あなたがあなた自身に安心して問い続けられる場所に、わたしはなりたいのです。