愛されるために必要なこと

みなさん、こんにちは。ahlan 和 sahlanのかしま慶子です。

愛し愛されることは人生の大きなテーマのひとつです。愛は人生に色彩を与え、喜びをもたらし、自己の存在を肯定してくれます。また一方で、生きている意味さえわからなくなるほどの絶望の闇に突き落とし、自己価値を崩壊させ、怒りと失望に心を支配させてしまうのも愛ではないでしょうか。しかしながら、どんなに辛い思いをしたとしても、人は愛を求めずにはいられない生き物です。諦めてしまっているようであっても心のどこかで素晴らしい愛の体験を望んでいるものです。

世の中には「愛されるための方法」が山ほど溢れています。ことにパートナシップにおいては「相手を夢中にさせる方法」「相手が離れられなくる方法」など相手から与えてもらうためにはどうしたら良いのか?の情報ばかりが目立ちます。そんな小手先の方法で人の心を操ることなど本当に可能なのでしょうか。確かに心理学などの技法を使って相手の興味を一瞬ひきつけることは出来るかもしれません。けれども、それは単に相手の意識がこちらに向いたというだけで、愛とは呼ぶには深みが足りません。今回は愛と呼ぶに相応しいほど深く愛されるために必要なことについてお話したいと思います。

 

1.「愛される」とは?

「愛」とは一体どのようなことをいうのでしょうか。手元にある辞書には「相手を慈しむ心・相手に注ぐ温かな心・人を深く思いやること」とあります。深く突き詰めていこうとすれば「じゃあ、慈しむとは?」「温かなこころとは?」「思いやりとはなんぞや?」と迷宮入りしていまいそうなので、ここではざっくりと「愛される」ということは「相手から大切にされること・尊重されること」としておきたいと思います。

 

2.「愛されたい」の前にあなたは人を「愛すること」が出来ますか?

そもそも人間には「愛する」という機能が最初から搭載されているのでしょうか。よく「子どもは無条件に親を愛する」「親の愛は無償の愛だ」などといわれていますが、そうであってほしいという願望でしかないように思います。子どもが親を愛しているように見えることがありますが、それは愛ではなく生き残るための戦略であることも少なくありません。虐待されていても親を庇う子どもがいることを「愛だ」として美談にしますが、もし親の暴力を訴えようものならば更なる暴力や苦しみが待ち受けているためにいえないだけです。もし生命の保証がされ、2度と親に関わることなく、安全を提供してくれる別の養育者が現れたとしたら(そして、今後その状況が続くと子どもが信じることが出来たならば)、虐待をするような大人からは一目散に逃げ出すことでしょう。実際に虐待を受けていた方の体験談ではそう語られることが多いです。

親の愛にしても本当に愛と呼べるかどうか怪しいものです。「人間は遺伝子の乗り物でしかない」といわれるように、遺伝子を次の世代に受け継ぐために本能に動かされているだけかもしれません。

人は赤ちゃんのうちから「人の顔っぽいもの」に興味を持ち惹きつけられる傾向があります。人間に元々備わっている能力というのは「愛する能力」ではなく「人に惹かれる」という能力といえます。(最近では、人を特別視しない、人とモトへの興味の度合いに明確な差異がないタイプもいるといわれていますが今回は割愛します。)

実は人が人を「愛する」ためには技術が必要なのです。そこには努力と忍耐が求められます。一番はじめの「興味を持つ」「惹かれる」という段階から、相手を「慈しみ、思いやる」というところまで気持ちを成長させていくことは簡単ではありません。心を野放しのままではいつまで経っても同じところで止まってしまうのです。「愛するということ」を求めたとしても、愛することが出来る人口があまり多くない時点で完全な愛を得ることは難しいといえそうです。

 

3.完全な「愛」でなければいけないのか

先に述べたように、他人を完全に愛することが出来る人がごく僅かであるとしたら「愛される」という体験など不可能だと絶望するかもしれません。もしあなたが「常にわたしの気持ちを察し、意見を尊重し、傷つくような言動はせず、毎日のように良いところを褒めてくれ、思いやりをもって、尊敬の念を抱きつつ、大切にして欲しい」と思っているのであれば、その願いは諦めた方がよいでしょう。相手に求めるのであれば、同じことを相手にして返せなければフェアではありません。あなたが与えることが出来るレベルのものしか相手からは受け取ることは出来ません。

これは「妥協しなければならない」という意味ではありません。愛するということの練習を互いに行うということです。愛されるために自分らしさを捨てる必要はありません。あなたらしいやり方で、相手の「常にわたしの気持ちを察し、意見を尊重し、傷つくような言動はせず、毎日のように良いところを褒めてくれ、思いやりをもって、尊敬の念を抱きつつ、大切にして欲しい」という要望を満たそうと努力してください。最初から完璧な愛など存在しません。目の前にいる相手と創造していくものだからです。

 

4.愛を長続きさせるコツ

一度手に入れた愛を失いたくないと誰もが思うことでしょう。とても自然な感情です。では愛を長続きさせるために、また素晴らしいものへと成長させていくためにはどうしたら良いのでしょうか。

まず第一に「自分だったらこうするのに」という考えを捨ててください。相手はあなたではありません。あなたがして欲しいと思うことと相手がして欲しいことが同じであるとは限りません。あなたがされて嫌なことを相手は気にしないかもしれませんし、あなたにとって当然のことであったとしても相手からしたら理解できないことかもしれません。どちらが正しくて、どちらが間違っているのかにとらわれないでください。あなたの目の前にいる相手が「敵」であるならば正義をかけて戦うべきです。けれども、愛を育むべき相手であるならば勝とうとしないでください。意見をうまく擦り合わせて互いに納得がいく着地点を見つける努力をすべきですし、折り合いがつかないことがあったとしても、それこそ「意見を尊重し」白黒をつけぬままであってもよいのではないでしょうか。答えが出ない問いをどれだけ我慢強くもち続けられるように努力することが愛ではないでしょうか。理解出来ぬものを理解出来ないまま尊重することこそが愛です。

第二に気持ちを伝える際に何を目的としているのかを明確にしてください。怒りや悲しみをぶつけたいだけであるならば、その結果相手の心が離れようとも嘆かないでください。受け止めきれなかった相手を責めないようにしてください。目的が「自分の感情をぶつけてストレス発散をするであったのならば達成出来たことに満足しましょう。もしあなたが自分の考えを理解して欲しいと思うのであれば、相手が理解しやすい形で伝えるようにしましょう。結論から伝えて、後に詳細を説明した方がわかりやすい相手ならばそのようにし、詳細から全体像をイメージするタイプであるならばそうしましょう。物語のように一つについて長く話した方が深く理解できる相手ならばストーリーにすべきですし、要点を箇条書きにして伝えた方がすっきりと落ち着く相手ならば簡潔に話すようにしましょう。自分のことをわかって欲しいのであれば、まずは相手を理解しようとするところから始めましょう。あなた自身で置き換えてみるとよくわかるはずです。「わたしのことをわかって!」と自分のことばかりを押し付けてくる相手には辟易してしまうのではないでしょうか。理解したい、寄り添いたいと思う気持ちも萎えてしまいます。正直であることと思いやりが欠如することはまったくの別物であることを忘れないようにしましょう。

最後に関係性を成熟させていく上で一番大切なこととして、自分の感情を相手のせいにしないということがあげられます。出来事はあくまで感情が起こるきっかけでしかなく、何をどう思うかはあなた自身の問題です。同じことが起こってもなんとも思わない人もいれば、怒り狂う人もいるでしょう。ある人は「なにも受けとらないこと」を選択し、また別の人は「怒り狂うこと」を選択しているだけです。人はこれまでの人生において、どのようなシーンでどのような振る舞いをすべきであるかを学習します。怒りを爆発させることによって相手を萎縮させ状況をコントロールすることを学んだ人の手段は「怒り狂う」でしょうし、被害者ポジションをとって相手に罪悪感をもたせて自分有利に物事を運ばせることを学んだ人は「悲しみ」を利用するでしょう。感情はあくまで自分自身のものであって、相手を支配するために使うものではありません。

もしあなたが悲しいと感じているのならば、悲しいと感じる種を自分自身の内側に見つけてください。怒りを感じるのであれば、何が怒りを呼び起こしているのかを観察してください。人の感情というものは、案外目の前の事象だけに誘発されているのではなく、過去の傷や痛みが合わさってごちゃ混ぜになってわき上がってくるものです。目の前の相手に対して腹を立てているように思っていても、実は子供のころに養育者にぶつけたかった怒りが再燃しているだけということもあります。もちろん原因は一つではありませんし、簡単に分解出来るものではありませんが、少なくとも自分の感情を自分以外のもののせいにするよりは状況を悪化させません。もし相手に気持ちを伝えるにしても「あなたのせいで」ではなく、「あなたの言動によってわたしの内側にあるこのような痛みが刺激されて悲しく思っている」というようにすれば建設的に話を進めることが出来るはずです。仮に相手が「責められた!」と感じたとしても、それはその人の課題であってあなたのものではありません。最終的に言葉をどう受け止めるのかは本人の問題です。相手もまた自分の感情を自分のものとして引き受ける責任があります。

その上で心に抱えている暗い部分に対して互いにどれだけ寄り添うことが出来るのかが愛を長続きするかどうかを決定づけているように思います。

 

5.まとめ

結局のところ「愛される」ということを自分がどう定義づけているのかによってとるべき行動が変わってきます。瞬間的に人の気持ちを惹きつけたいだけならば「モテ術」と呼ばれるようなものを駆使するのもありだと思います。ただし、そのようなやり方に簡単に引っ掛かるような人間はより巧みな方法を持つ相手にすぐになびいてしまう可能性が高いことを知っておかねばなりません。

もしあなたが自分自身の内側にある星の欠片を見つけ出し、丁寧に扱うことが出来たならば同じように相手からも尊ばれることでしょう。愛されたければまずは自分自身を愛することです。あなたが価値を感じていないものを他人に愛せというのは無理があります。自分自身の不完全さを否定せず、大切にしてください。それがあなたの個性です。そして、相手の不完全さを愛してください。あなたの理想像を投影していた情熱的な時期を過ぎて、相手に幻滅してから本当の愛の季節がやってきます。あなたの妄想によって作り上げられた相手ではなく、現実世界の相手そのものと向き合う時に真の愛が育まれていくのです。どんなに苦しくても誠実に思いやりをもって育まれた愛は簡単に壊れたりはしません。愛されるために必要なことは、人を欺かず、また己を欺かないで真実と向き合い続ける勇気といっときの感情に振り回されることのない忍耐強さだといえるでしょう。

今日はチャネリングして手が動くままに書き綴ってみました。「愛」という概念はもともと日本にはなかったものですから、語り手の口調が日本の神さまっぽくないですよね。こういう書き方も面白いかな、と思って今回やってみました。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

次回は「神社めぐり①徳島・大麻比古神社」です。

愛されるために必要なこと」への2件のフィードバック

  1. とみぃ 返信

    私にとってタイムリーで今必要なメッセージでした‼私のために書いてくれたの⁉という感じです(^^)

    というのも、ちょうどエーリッヒ・フロム著の『愛するということ』を読み終えた所で、半世紀以上も前に書かれた本ですが「愛は技術である」に感銘を受けていたところでした。

    実はこの本をオススメしてくれた方に今片想いをしているのですが、その方には恋人がいるため自分の気持の折り合いをどうつけていくか模索中でした。

    叶わない恋を追い続けるこということは、もしかしたら自分自身を「愛する」ことからかけ離れていってしまうのかもなと今回の記事を読んで思いました。

    幸いにも⁉、片思い中の方には来週からは会うことはほぼなさそうなので(職場の異動)、この機会に自分の気持ちを少しだけ伝えて、前に進んでいこうかと思っています。

    久し振りのトキメキに「愛するということ」について考えることが多かったこの数ヶ月の終わりに、この記事を読んだ事にも何か意味がありそうです!!

    私へのメッセージとしか思えず(笑)、思わずコメントいたしました‼ありがとうございます♪

    • ahlan和sahlan 投稿者返信

      とみぃ さま

      コメントありがとうございます。
      『愛するということ』名著ですよね。すべての現代人の課題図書にしてもいいくらいだと思います(笑)

      前に進むためにほんのりと自分の気持ちを伝えることが出来たのは、とても素晴らしいことだと感じました。自分の内側に想いを引っ込めていつまでも持ち続けるよりも、相手に渡すことで一区切りつけることが出来ますものね。その後の展開がどう発展していくかは未来になってみないとわからないことですが、結果がわからないことにも行動出来る勇気が素敵です!

      ブログが心の整理に役立ったのであればとても嬉しいです。
      ありがとうございました!

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