最近体験したオバケの話①

みなさん、こんにちは。ahlan 和 sahlanのかしま慶子です。

お祓いの仕事をしていると当然オバケと毎日絡みがあります。(←言い方)

霊障に困っていたり、怖い思いをしている方がいれば少しでも対処の参考になればと思い、先日体験したオバケのお話をしたいと思います。

 

先日の仕事帰り、よく通る高速道路での出来事です。

山の谷間に造られたこの高速道路はよく晴れた日でもなんとなくあの世とこの世の境界線が曖昧なところがあって「トンネルを抜けたらそこは黄泉の国でした」となっても不思議ではないような雰囲気が漂っています。不気味だとか嫌な感じがするというのではなくて、自分が生きている「今」が強い輪郭線で描かれて確立されたものではなく、いつでも入れ替わり可能な不安定なものであることを意識させてくれるような場所なのです。

それは濃い霧がたち込めていて視界が非常に悪い夜でした。

心霊番組などでよくある表現のうちの一つに「幽霊が出てくる時には霧がたち込める」というのがありますよね。まさにそんな感じです。人間の無意識の中には濃霧の向こうには死者の世界が広がっているという思いがあるのかもしれません。

ところどころ高速道路の真ん中に人が立っていたり、人ならざるものが車と並走している姿を見ながら「今夜は随分賑やかなことで…。」と感心しながらハンドルを握っていました。

普段はまったく何も思わないのに

 

「あ、ここって有名な心霊スポットの近くだな」

 

とふと思い出しました。その瞬間、車のナビの「ポーン」というお知らせ音が響きました。

 

「〇〇トンネル付近の映像です」

 

(〇〇トンネル(心霊スポット)は下道にあって高速道路上にはないはずなんだけど)と思いながら画面を見ると墓地の映像。墓がみっちりと建てられており、その中には放置され、倒れているようなものも混じっていました。墓石の形状は普段見慣れているものとちょっと違う。

その場所は心霊スポットといわれるようになったメインの出来事以前に、隠れキリシタンの話があったことが頭に浮かびました。

すると、教会の御ミサで朗読される聖書や福音のような音が響き始めたのです。

目から血を流している宣教師(神父さま?)の姿や迫害を受ける人々、磔になっている映像が一気に脳内に流れ込んできました。信仰と不信感。不信感を抱く己に対する侮蔑の心。救われることを願った末の絶望。期待、希望、諦め。様々な感情をさも今現在自分が味わっているかのような感覚に包まれました。

 

そうか、そうやって死に向かっていったのだな、ということはわかる。

わかるけども、「今、ここ」でそれは起こっているものではない。とうに過ぎ去ってしまったものでやり直すことも結果を変えるためのアクションを起こすことも現代に生きるわたしにはできない、と伝えると

 

知っておいてほしかただけだ…

 

と言って気配は消えていったのです。

 

どっと疲れて次のSAで休憩しました。

これってどういうことだか皆さんわかりますか?

 

心霊現象って幽霊がバーンって出てきてびっくりさせられたり、オバケが恨みを晴らそうとしたりするだけではないんですよ。お祓いで扱うのはむしろそうではないパターンの方が多いかもしれない。

わたしたちは隠れキリシタンのことを「歴史の教科書で学んだ過去のこと」だとおもっていますよね。そういう酷いことを平気でしていた時代もあったんだなぁというくらいの感想しか持っていない人がほとんどだと思います。

視せられたビジョンと味わされた感情、残された最後の言葉の意味が繋がった時、内側に重い石を飲み込まされた気分になりました。

 

「まだ終わっていない」

 

ということです。わたしたちはにとっては過去のことですが、どこかに存在している隠れキリシタンの子孫の方々の中で物語は終わっていないのではないでしょうか。先祖が味わった苦しみは血の中に脈々と受け継がれていて、「臥薪嘗胆」、いつかこの恨みをはらさでかと考えているのかもしれません。過去のことではなく、今もなお続いている苦しみがあるように思いました。

まぁ、わたしの勝手な解釈ですけれども。。

 

お祓いの依頼を受けてその原因を辿っていくと今回のようなものに行き着くことが少なくありません。過去の恨みではなく、過去からずっと続いている恨みが絡んでいることもあるのです。加害者側は己のやったことをすっかり忘れて生きていますが、被害者側はどれだけ時間が経とうともずっと苦しみ続けいるという構図です。この苦しみも「苦しむために苦しみを生み続けている」という側面もあるのですがね。。

お祓いとはこんがらがったものを最小限のダメージで解くためのものだと思います。

善悪の対立構造で一方的にやり込めるのではなく、それぞれの言い分を踏まえて最善の落とし所を見つける交渉人のような役割を果たすのが自分の仕事だと考えています。

人生全体を通じてなんとなく良い流れを掴みきれないのは自分以前の家系にかかる問題が原因かもしれません。気になる方はご相談ください。

 

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

次回は「縁が切れる予兆」についてお話したいと思います。

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